おひげをじょりじょりじょり。。
と言う訳ではなく、
ここ最近ずーっとやっているのが、
宇宙シュレッダー⭐︎
日々、いらない意識達に気付いては、
オォ、これも不要だ。
じょりじょりじょり…
オォ、これも制限だ。
じょりじょりじょり…
オォ、これもジャッジだ。
じょりじょりじょり…
そう。
これまでありとあらゆる概念や感情の解放をしてきたはずなのに、
あるわあるわ、まだまだありました。
トホホ。。。
去年の夏前から始まった、
アレルギーの追い込みは、
最初、次々と食べる物に反応し、
頭痛がしたり、ひたすら気持ち悪くなったり、ブルブル震えたり、お腹下したり。
最終、限られたお米のみになった所で、
白いうんこさんしか出なくなり。
これは死ぬな。と感じ、
おかしいやろ。
やめじゃやめじゃー!
と、少しずつビビリながらも食べ出して。
少し元気になった所で、
今度はクウタが具合悪くなり、
どんどん悪化しこの世を去って。
悲しみのどん底で彷徨い続け、
少しずつまた元気が出てきた頃に、
また食べる物達に反応が出始め。
今度は、その反応が広がり、
身体の内面の調子以外に、
皮膚が切れる、向ける、赤くなる、
という最悪の反応が出だして。
思えばコロナの広がりと並行していたかの様に。
そこで、あぁ、仲間達の言うように、
ダメと言われるもの達を除去していくのか、
とやってみたものの、
それも全くもってよくならず。
やっぱり、ちゃうやん。
と、何でも食べ出しても気持ち悪くならなくなったのが、4月入ってから。
そして、この一ヶ月、
皮膚の症状も少しずつ引いてきて。
仲間たちがダメだぞと送ってくれたサイン達は皆、やはり私の中の恐れとジャッジだったのだなぁ。と再認識して。
それを一つ一つ、
ごめんね。赦すから赦してね。
と、宇宙シュレッダーにじょりじょりじょりと解放しては、反応がひいていく。
と言う事を体験しています。
おんなじ事を昨年の夏過ぎにやったのに、
何故、スッキリいかなかったのかは、
黄泉の国を体験しなきゃいけない設定だったからでもあるのだと思います。
ほんま腹立つわぁ。。。
と言うムカつきも、
当初は本気で腹立ってたのだけど、
今のそのセリフは、口元だけで残り香を吐いてる感じ。と言えばわかるかなぁ。
怒りさえも出し切った感。
とりあえず残りの文句は吐いておこう。
みたいな笑
それは、もう一度同じような追い込みの体験の中で、
やはり更なる気づきを沢山受け取ったからでもあるんです。
仲間達から来るサインは、
この追い込みの体験を避けては通れない事をわかってもいたから←やはりかなりの予知群で。
危険だぞ!という意味でもあるし、
その体験を終えたのなら、
それ恐れとジャッジだぞ!と、
解放へと導くためのサインでもあるからで。
私の場合、アレルギーを解放したい。
という願いを持ちながらきたけれど、
これまでの体験の中で、
酷いアレルギー体験を積まされて。
その度に、え?!
これがいけないの?
この食べ物がいけないの?
と、ジャッジをしていた事になる訳です。
当時は、そんなジャッジの意識はなくとも。
その一つ一つのジャッジ達をした食材や物質に、
黄泉の国体験で傷つけられる。
という仕組みだったのだけど、
そのジャッジは、この数年だけの物達だけではなく、
何と生まれてからこれまでの全てのジャッジに関わっていました@@
わかりやすく言うと、
幼い頃からの好き嫌いってありますよね。
私の場合、牛乳嫌い、椎茸嫌い、
とかなのだけど、
そこからグングン繋がって、、
乳製品に傷付けられる、
キノコ達に傷付けられる、
という様な、
ある意味自分がつけたジャッジによって、
それが返ってくるという、
カルマ、宇宙の真理を、
食でも物質でも体験させられて@@
でも、これは、
たぶん本当に最後の地球だからなんだろうとも感じるんです。
だからこそ、どこまでもゼロに持って行かされるんだ。。と、唖然としながらも、
次々と思い出す細かなジャッジに気付いては解放して。
こんなにもジャッジをしてきて、
願いが叶う事を邪魔していたのは、
自分自身なのだ。。
と改めて気づかされました。
というか、ジャッジをした当時は、
意味もわからずぶっ倒れたり、
湿疹まみれになったりしたので、
何かしらの原因を探る、見つける行為は、
その時の最善の行動だったので、
それはしょうがないし、
その時の自分を責める事もおかしいので、
それも責める事は敢えてせず。
ただ、そのジャッジを、
今、赦して解放する。
というタイミングが来たのだなぁと。
何気に、これ嫌いだなぁ、と、本当にジャッジとまでいかない意識さえも今回自分に跳ね返ったきたので、
ああ、まさに意識のジャッジと、その解放の体験を、敢えて全部一気にさせられているのだなぁ。と感じました。
だから、気づいたら、
じょりじょりじょり。。笑
幼稚園の頃に思った事でさえ、
じょりじょりじょり。。
本当に笑えるくらいに沢山(°▽°)
何様のつもりだったのだろう。。
という程です。
何かを食べて倒れる。みたいな、
何かしら嫌な体験を昔にした時に、
人間は自分を守るために、
じゃあ、この食材がいけないのか。
と、断定したりしますよね。
それが本当に危険な場合もあるだろうけど、
本当に嫌なものは、食べたくないだろう。
という感覚を持っていて。
ほんまにこれダメなの?
いや、たまに食べたくなるけど。
というものに関しては、
この解放ができるようになるんじゃないのかなと思っています。
事実、いや、これダメな訳ないし。
という物達は、今年の初めは倒れたけど、
今は食べれるし倒れもしない。
という変化を体験しています。
意識、思いが具現化につながる事は重々承知だけど、
振り返れば、それを、
ぶっ倒れながらも、ちくしょー!と、
やってきた感じでもあります^^;
赤子の頃から持っているアレルギーとは別に、大人になってから、もしくは体験の中で、やむを得ずにジャッジをしてきた物達があるのなら、この地球が最後の方は、
ゼロに。解放できるのかなぁとも感じます^^
こんな風に、私の場合は、
願いの一つが、食や化学物質に関わっていたから、
こういう体験になるのだけど、
結局は、一つ一つの食材とかではなく、
意識の問題がやはり根底にある事もキーなのだと思います。
こうなりたい!という願いがあって、
今こうなっていないのなら、
こうなれない、それを邪魔する制限やジャッジが、
実は自身の中にある事を見つめさせられ、
それを解放していく体験をしていく。
のかもしれません。
てことは、
結局は、感情達の解放とおんなじですよね^^;
内を深く深く見つめては、
掘り起こし、これか。と認めて、
今、それを赦して解放していく。
じょりじょりじょり。。。
この髭剃り、
じゃなくてシュレッダー作業、
意外と面白いです^^
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mar (日曜日, 03 5月 2020 23:17)
Mokoさんこんばんは!
小さい頃はまだ体が出来上がってなくて、サバで蕁麻疹出たり、山芋で体中痒くなったり
はありました。数年前アレルギー36種類だったか血液検査で分かるやつ。まったく当てはまりませんでした(笑) 色々食べてた記憶があります。
でもここ何年間は食にそこまで興味が無くなり、お腹が鳴ったら食べる感じです。最初の1~3口めまでは美味しさを感じ後は惰性で食べてます。
後は食感を感じたくてグミを食べ続けたり、麩菓子を食べ続けたりする事があります。
何を食べるかではなく、誰と食べるかになって来て、たまに一人で食べたいときがあります。な~んでこんな風になっちゃったのかなー?って少し考えています。
私はなにをジャッジしてるのか!?…今は自分を見つめる時。
私も、これか。と認めていきたい。。。
じょりじょりするぞー(笑)
いつも有難うございます♡