台風15号の復旧が少しメドがついたと思ったら、今度は台風19号。
川という川が決壊したその災害の爪痕は酷く、またしても被災地を襲ってもいて。
光がようやく見えたかという所でのこの災害は、皆、光を見失いそうになっていて。
日に日に増える死者の数を見るたびに、
やるせなさと人間の弱さを感じて。
同時に生かされている事にも意味がある事や、それへの感謝は勿論なのだけど、
いかんせん、思えばいつも災害に同調するかのごとく体調と戦う私がいて。
3.11の時も、地震が来る数日前から倒れ、嘔吐や微熱、腰やられて動けなくなり、アレルギーも酷くなり。
当時は、化粧もできない状態で眉毛だけ書いていつもマスクして出社してた事を思い出しています。
地球と同調している事を、今回も改めて痛感していて。
これは気圧の変化に弱い人や、地震予測できる人、エスパー体質の人なんかは、思い当たる所があるのではないかなぁ。
体調に出なくとも、感情面で怒りが放出したり、死にたくなったり、普段言えない事を言っちゃったり。
そこも大きく関係してくると思っています。
私も今回、自身のアレルギーの体験設定と災害の大きさも伴って、
たとえ浄化の作用、変容の過程とは言え、
もうちょっとやり方あんのちゃうの?
と、宇宙に文句言いました。
イザナギとイザナミ、神々をも呪い殺しそうになりました。
それくらい宇宙に怒りが出てきて。
と、同時に、
もうやめて、もう助けて。と、何度も叫びました。
だけど、どこかで、
絶対に大丈夫という信念も消えずに。
つまりは、それらは実は立派な、
腹に溜まってる感情達の放出でもあり、
解放の変容の一過程でもあり。
自分の弱さをちゃんと認めて、
天地の間で生かされている事を、
それが当たり前ではない事を、
再確認することでもあるのだと感じています。
災害の多い日本。
けれど、日本人はもともと我慢が美徳でもあり、
とても忍耐強くて。
神を、天を敬う気持ちがあり、
自然の偉大さ、大きさを、魂が知っている人種の一つでもあると思うのです。
身内や大切な人達を失った被災者達は、
どこに向ければいいのかわからない色んな想い達を胸に抱えていて。
悲しみも怒りもやるせなさも。
あの時こうしていれば、という自責の念さえも。
自然にはかなわない。
けれど、それくらい大きいからこそ、
自身の胸にお腹に溜まっている感情達を、空に解放させられる事を促されてもいる流れなのだと感じていて。
偉大だからこそ何でも受け止めるのが宇宙で。
幼い頃、よく母と喧嘩して、
母にとって大正統な論議でグウの根も出ない口調で言いまかされるたびに、
二階の自分の部屋に上がり、ベランダに出て、
クソババアー!!!!
と、叫んでいた事を思い出します^^;
そうする事で、また向き合うことができていたようなもので。
幼いながらも、解放のやり方を本能で少しはわかっていたのかもなぁ。。
なんて今は思います。
勿論、やりあえるならそれに越した事はないけど、やり場の無い思い達は、
空に宇宙に、何でも吐く事を高次達も促します。
それくらい大きくて、何でも受け止める事ができるから。
一切のジャッジをしないから。ですね^^
これらは、ツインという枠組みの交流間でも同じことをしていくことになります。
向き合い対話を進めていく中で、愛を深めて行くことと同時に、
互いの怒りも悲しみも吐き出す事を、互いが促すように導いていきます。
んと、わかりやすく言えば、
これを言って欲しかった。嬉しい。同じ思いだ。。。
と感じる言葉を貰えたり、言えたりできるのと同じくらい、
これだけは許せない。理解できない。という事も、
互いが見せ合っていくことになります。
前者は嬉しいものなので、ただ素直に受け取っていく。
受け取る事に疑いや不安がある場合は、裏に自己否定や幸せになる事、愛を受け取る事の恐れが隠れているものなので、それを解放していけばよくて。
ただ、後者に関しては、許せない。あり得ない。という固定概念を解放できるまで、お相手や自身は、その許せない行為を見せ続けていく事にもなるのだと思います。
表側を観ていると、何回やんねん。いつまでそれ続けるねん。とムカつくのかもだけど、
裏側では、そのムカつきが解放されるまで互いをサポートし合おうね。ってことにもなります^^;
なので、災害にしろ、ツイン達との関りにしろ、
見るべきもの、感じるべきものは、
己の内側になっていくことなのだと思っています。
やるせない思い、怒り、悲しみ、絶望、
こんな感情が、お腹にあるんだ。
こんなにもまだ残ってるんだ。って。
感情隊をちゃんと味わい体験し、その感情の渦の中から一歩出て、俯瞰的に己を観る事ができる瞬間がやってきたのなら、
あぁ、まだ残ってるんだね。と、認めて。
そこからゆっくりと解放が進みます^^
解放されたかどうかは、その行為に対して何もジャッジしない、
その裏側にある想いさえも受け止め感じる事ができる自身になっている事なのだと思います。
これは、ぜんぶ解放されるまで何度だってやっていい作業です☆
というか、その概念や感情が解放されるまで何度だってやらされます^^;
そして、こんな風に被害者が沢山出てしまうような時、
自身の死は怖くはないのに、他の誰かが死んでいく事が、あまりに辛くて。やるせなくて。
その思いは、レムリアや数々の過去世から来る者たちの記憶としっかりとリンクもしていて。
死傷者の数が増えていくのをテレビで見るたびに、どうしようもない悲しみとやるせなさで胸が締め付けられます。
大きな宇宙の中で、
あまりに弱き自分を認めざるを得ない毎日の中で、それでも、あの、青い光に包まれる地球を望む私がいて。
たとえ僅かな力だとしても、
この光が尽きるまで、その青い光をこの地に送る事をしています。
届け、届け、
例え見えなくても、届くようにと。
そんな中、
いつもセッションでそばにいてくれた、
アンダラレムリアンクリスタルの青い石の旅立ちが決まって。
その青い光を愛して下さる方の元へ^^
その旅立ちは、なんだかとても意味があることのように感じています。
今週末も、また雨模様の予報です。
被災地の方は勿論の事、川沿い、山沿い、海沿いの方々、復旧活動、救助活動の方々は、どうか気をつけて、早めの行動をされて下さいね。
気温も下がってきています。
寒暖差に対応できるよう、朝晩は暖かくしてお過ごし下さい☆
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